2005年9月 2日 (金)

じーんときた

新約聖書「マルコの福音書」15章を読んでいて、じーんと来たところがあります。

むち打たれた傷だらけのイエス様がその痛む背中に十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かっておられた時、力尽き果て歩けなくなります。

そこで側にいたクレネ人のシモンという男に、ローマの兵士がその十字架を担がせました。わけのわからないシモンは、きっと「なぜ、俺がこんなことをしなきゃいけないんだ。こんな汚い罪人の代わりに、十字架なんて気味の悪い物を背負わされるなんて!」と思ったことでしょう。

ところがこのシモン、イエス様の側を嫌々歩いていくうちに心が変わったようです。何も語らないイエス様なのに、彼の心は落ち着き、今度はイエス様に不思議な関心を抱き、ゴルゴダの丘に着いても彼はイエス様を見上げていたのでしょう。

後に彼はクリスチャンになっています。自分の子どもに、自分の町の人々に彼はイエス様を伝えているのです。

十字架を背負わされて文句も言いたかった彼が、十字架にかかったイエス様を愛するようになったことにじーんと来ました。

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