「わかえだ」より4
アッセンブリー教団に昔あった日曜学校部(SS部)。
その頃、中高生向きの「わかえだ」という月刊誌が発行されていました。
その「わかえだ」に、私の「けいろう先生の思い出」が掲載されました。
もう30数年前のことで、私が神学生の時です。 教師時代の思い出を書くことになったのです。
その時の原稿が出てきたので、ここにアップしてみようと思いました。
30数年前のものです。
その4回目
== 暖かくなりましたね。桜の花を見ると思い出すかわいい女の子がいます。当時、彼女は中学一年生でした。彼女は明るく元気な子でしたが、2学期末から登校拒否を始め、3学期は全く学校に来なくなりました。仲の良い友達が訪ねた時は会えたそうですが、担任の先生はじめ、どの先生が行っても会ってくれない状態になっていました。
私は美術を教えていただけですから、詳しい事はわかりませんでした。一度訪問しようと思っていたのですが、職員会議で「しばらく先生は誰も行かないで、そっとしておこう。」ということになり、行けなくなりました。
毎日祈り、ある日、神様や教会のことを手紙に書いて、彼女の友達に持って行ってもらいました。他に何もできない自分の無力さを感じながら祈り続けました。
そして、春休み最後の日曜日、気持ちのよいよく晴れた日で、桜の花の美しい日でした。礼拝後、昼食をしてワイワイ言っていると、玄関でかわいい声が聞こえました。出て見て、自分の目を疑いそうになりました(もともと目は悪いですから)。なんと、あの子が友達と二人でニコニコして立っているのです。「手紙のお礼を言いに先生の家に行ったら、おじちゃんがここを教えてくれはってん。」と、ニコニコして言うので、あっけにとられてしまいました。登校拒否をしていた子には見えないのです。
「まあ上がり。」と言ったぐらいで、あとは彼女が一人で2時間以上もしゃべっているのです。私はほとんど一言もしゃべれず、聞くばかりでした。そして最後は「あっ、もうこんな時間。帰らなあかんわ。先生らあんまりしゃべらへんかったねえ。」です。みんな大笑いしました。私の口をはさむ余地もなくしゃべって帰って行きました。牧師と私とは共に感謝の祈りを捧げました。
さて、始業式、二年生になった彼女はニコニコして登校して来ました。そしてずっと休まずに学校に来ました。教会にも来続けました。大きく変化した彼女に新しい担任の先生は驚き、私のところへ来てこう言われました。「藤井さん。あの子はずっと教会に行ってるんですか?」「はい。元気に来てますよ。」すると、その無神論者の先生が、「神様っているんですかねえ?」と考えこまれました。
人を変えるのは人ではなくて、神様ですよね。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント 5:17)
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当時、「不登校」という言葉がまだなくて、「登校拒否」と言っていました。
私は牧師になり、すでに32年が過ぎましたが、今までに結構たくさんの不登校の生徒達の相談を受けました。中にはいじめによって不登校になった生徒もいます。しばらく、教会で勉強を見たこともあります。
私には何もできないので、神に委ねて祈って話を聞くだけです。
神様はその子達のことも大好きなので、絶対に良いことをなさるはずです。
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