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2018年5月 2日 (水)

「わかえだ」より

アッセンブリー教団には過去に日曜学校部(SS部)がありました。
SS部では小学生向きの「こひつじ」、
中高生向きの「わかえだ」という月刊誌が発行されていました。
 
その「わかえだ」に、私の連載が載りました。
「けいろう先生の思い出」というタイトルでした。
もう30数年前のことで、私が神学生の時です。
教師時代の思い出を書くことになったのです。
その時の原稿が出てきたので、ここにアップしてみようと思いました。
30数年前のものです。
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    けいろう先生の思い出 1
       
 はじめまして、けいろうです。
 本当の名は藤井敬朗(のりあき)なのですが、この敬朗がどうしても「のりあき」と読めず、小学生の時からずっと、「けいろう」と呼ばれていました。別に9月15日の敬老の日に生まれたわけではありません。父親が真剣に考えてつけてくれた名前です。
 かつて、私の教え子が9月15日に誕生日プレゼントを持ってきてくれました。敬老の日に生まれたのだと思いこんでいたのだそうです。又、手紙のあて名にも「藤井敬老先生」というのがいくつかありました。
 言い遅れましたが、私は大学を卒業した後、1年間産休先生として3つの学校を回り、その翌年、大阪は高槻市の第9中学校に勤めました。そして、5年間そこで美術の教師として、又、陸上部の顧問として働き、今は牧師になるため教師をやめて、中央聖書学校に来ています。
 こんな私と中学生達の交わり等の中から、思い出をお話していきたいと思います。
 今回はまず、顧問をしていた陸上部でとても思い出に残っていることをお話しましょう。
 10月の高槻市の総体の大会の時のことでした。陸上部員130名中何十名もの生徒が教会に来たのですが、その中でもよく来ていた3年生(現在高2)達3人が800mリレーに出ました。
 4人中3人が教会に来ていたのですが、各校のえり抜きのチームの中でこの9中のメンバーがどこまでいけるのか、とても楽しみでした。レース前、他校の選手は緊張をほぐすため、足をたたいたりしていましたが、この3人は祈っていたそうです。まだ祈りを覚えて間もない彼らでしたがレース前に祈ったと言うのです。

 さて、ピストルがなりスタートしました。祈った3人は第2、3、4走者なのですが、第1走者の生徒がかなりのよい順位で入ってきました。そして、バトンパスが実にみごとで第2走者からトップに出ました。次もその次もバトンパスは実に美しく、なんと2位に50m近くも差をつけて優勝しました。
 彼らはとび上がって喜び、私のところへ来て、「けいろう先生!きょうは最高やった!走る前に祈ったら、いつもと違ってものすごく落ち着いた!」「あっ、おれも祈っとってんぞ!」「おれかてや!」と楽しい証を聞きました。
 神様は、祈りを覚えたての彼らの祈り、そのつたない祈りをも聞いて下さったことに心より感謝しました。

 その時の大会は今までになく好成績で、2位との間を大きくあけて高槻一となりました。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ 7:7)
シャローム!!
藤井敬朗

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